【場面緘黙っ親】褒めるって難しい!

場面緘黙っ子に親・人として日々学ばせてもらっています。
※場面緘黙とは、家などでは普通に話すのに特定の場面(保育園・学校など)では話すことができない状態。


親や先生が褒める所と、緘黙っ子が褒めて欲しいポイントが違うことに気付きました。

たぶん他の子もでしょうが…
自分が頑張ろうと思って、頑張ってできた所を褒めて欲しい!!
そりゃそうなんですが…
でも、その頑張りポイントは本人にしか分からず親も先生も、そこじゃなーい!!ってところを褒めてしまうことが多々あり、親としてはめちゃくちゃ褒めているのだが、本人にとっては当たり前のことをしただけで、褒められても嬉しくないため、褒められた感覚も薄く、褒められた経験が少なく感じ、自信があまりもてないでいたのかなーっと感じることがあります。


それに気づいたきっかけは…
運動会の練習でのリレーで緘黙っ子がアンカーになってバトンを受け取った時、かなりの差が出てどう頑張っても負けてしまう…。
そんな時も一人で全力で走り切ったことを先生が褒めてくれました。
でも、緘黙っ子からしたら
『負けたくないから頑張って走っただけ!』だったみたいです…(←負けると気づかない見通しの甘さ・苦手があるのかも…苦笑)
私もその出来事を先生から聞いたので、家に帰ってから褒めましたが…
それは別に頑張ったことでもないので褒められても嬉しそうではなかったです。

それよりも、本人が
「今日、朝のリズム体操できた!!」
と嬉しそうに報告してくれました。
不登園になってから、保育園に通い出すことができるようになっても皆がしているのをずっと見ているだけだった朝のリズム体操。
「リズム体操したいと思っているけど、できない!!」と言っていました。
したい気持ちがあることはいい事。
その気持ちがあればいつか出来るようになる事。
最初の一歩は勇気がいるけど、やってみたら案外たいしたことないなーって思うかもしれない事。
一つだけ好きなリズムしてみたら楽しいかもしれない事。
など…伝え続けていました。

そして、お泊り保育や運動会の練習で『自信』がついてきたのか、
ある日、勇気を出して一つだけ好きなリズムをしたみたいです。
そこで『できた!!やってみたら、たいした事なかった!』と自信がついたのか、
その一つができた次の日からは最初から最後までリズム体操をすることができました。

本人にとってはとってもとっても頑張ったこと!!
でも不登園になるまではリズム体操はできていたので、先生からしたらリズム体操よりもリレーのほうが印象的だったんだと思います。

 

今、何を頑張ろうとしているのか、その子の気持ちを知り、理解して褒めた時に、
褒められた!と本人は気づき嬉しくなるのかなーっと…
褒めるって本当に難しいなーっと感じた出来事でした。


なので、今は本人が自ら動いて頑張ったことを褒めるように心がけています。

今日も、お風呂から一人で出て一人で体を拭き、着替えて、ドライヤーで髪を乾かすため違う部屋に行っていました。
今までなら「一人こわいー!!」と言って、
一緒にお風呂から出ていたのに、
まさか、電気もついていない真っ暗な部屋に行って自分で電気をつけてドライヤーで髪を乾かす。
なんて…信じられません。
結局、スイッチが分からなかったみたいでドライヤーで髪は乾かせなかったみたいなのですが…
「一人でお風呂から出て着替えて真っ暗な部屋に行って髪を乾かそうと思えたこと。そう思えることがすごいことだよ!!挑戦できたことがすごいよ!」と褒めると、とても嬉しそうでした。

結果ではなく過程を褒める!!
本当に大切なことだと改めて思いました。


【最後に…】

『できた!!』
を褒めていた時は、そんなに毎日
『できた!!』
を見つけられなかったので、褒める回数も少なく、褒められる経験をあまりさせてあげられなかったのですが…
結果ではなく過程を褒める!!
頑張ったことを褒める!!
を意識すると、意外と褒めることはたくさんあり、褒める回数が増え、緘黙っ子の自己肯定感は上がっているように感じます。


幼いからこそ、親の声掛け一つでこんなにも変われるのかもしれませんが…
でも、褒めることはタダなのでやってみる価値はあるのかなーっと思います😊

 

少し余談ですが…
緘黙っ子はなかなか『まぁいっかー』と思えず完璧主義なところがあり、困っていたので
どうすればいいのか療育の先生に聞きました。
すると
『結果ではなく、過程を褒めること』
と教えてくれました。

結果ではなく過程を褒める!!

これは、子育てをする中での重要ポイントなのかもしれません✨

【場面緘黙っ子】の癇癪

場面緘黙っ子に親・人として日々学ばせてもらっています。
※場面緘黙とは、家などでは普通に話すのに特定の場面(保育園・学校など)では話すことができない状態。


1歳半ぐらいからずーっとある癇癪。
初めの頃は『イヤイヤ期』始まったかなーっと思っていました。

例えば、おもちゃが落ちた!や
紙がグチャグチャになった!など…
自分の思い通りにならないと30分以上泣き続け、暴れまわっていました。
地雷がどこにあるのか分からず、
初めての子育てなのもあり『イヤイヤ期』ってこんなに大変なんだなーっと思っていました。
2歳は『魔の2歳』
3歳は『悪魔の3歳』
4歳は『天使の4歳』とネットに書かれていたので、4才できっと落ち着くはず!!
4歳まで頑張ろう!!
とそれを望みに日々過ごしていました。

でも天使の4歳になっても癇癪は続いていました。


出来るだけ癇癪は起こさないように注意していても、本人の想いと親との想いが違う時はどうしてもありますし、
保育園など集団生活だと、本人の思い通りにならず保育園で我慢してた分、家で発散します。

癇癪を起こされただけで、こっちはもう全てのエネルギーを吸い取られるような感覚になり、無気力になります。

私に余裕がない時はイライラしすぎて、怒ってしまうこともあります…怒っても余計に悪化させるだけだと分かっているのですが…

やっぱり、ここはもう耐え忍ぶしかなく、落ち着くまでそーっとしておくしかないのかなーっと。

そして、落ち着いた時に
「泣いていた時間は30分だよー」
と伝えても時間感覚がまだないので、
「アニメ1本分、泣いてたよー」と伝えていました。

早く切り替えられたら、いい事があることを説明していました。
(例えば早く切り替えられたら、TVがたくさん観れるよ…など)

そんな事をしているうちに、
「どれぐらい泣いてた?」と聞いてくるようになり、どんどんと泣いている時間が短くなっていきました。
その都度、
「早く泣きやめたね。切り替えられたね。だから、楽しい事をする時間が増えたね!」
と褒めていました。

5歳でも癇癪は度々ありますが、
自分で違う部屋に行き一人になり落ち着いてから、数分で帰ってきます。
そして、何が嫌だったのかを言葉にして伝える練習をしてもらっています。


【最後に…】
癇癪は緘黙っ子を育てているうえで、親にとっては一番の困り事といっても過言ではない困り事です。

全てのエネルギーを吸い取られ、疲労困憊してしまいます。

でも、癇癪は緘黙っ子が心の底にある感情を出す方法なので、それを閉じ込める事はよくないなーっと思っています。
なので、
・感情を出すことは悪い事ではない。
でも早く泣き止めたら楽しいことがたくさんの時間出来ること。
・泣くこともいいけど言葉にしてみたらスッキリすること。
を伝えています。

今でも癇癪と日々付き合い、疲労困憊の毎日ですが、いつか癇癪ではなく嫌だった気持ちを言葉にして消化してくれるようになってくれると信じています。
てか、そうなってくれないと困ります😖

【場面緘黙っ子】の運動会(年中)

場面緘黙っ子に親・人として日々学ばせてもらっています。
※場面緘黙とは、家などでは普通に話すのに特定の場面(保育園・学校など)では話すことができない状態。


年中のGW明けあたりから、
だんだんと不登園になっていったが、
療育をスタートしたり、
お泊り保育に参加できた事で自信がつき、
保育園に通えるようになってきた頃、
運動会の練習が始まりました。


運動会でする種目は、
・鉄棒(前回り)
・跳び箱
・三点倒立(壁あり)
・竹渡り
・リレー
でした。

運動は大好きで、体操教室にも通っていたので
鉄棒も跳び箱も得意でした。

先生は緘黙っ子に自信をもっとつけさせてあげようと考えてくれ、
跳び箱のお手本として緘黙っ子を指名してくれていました。

三点倒立は出来なかったのですが、
「諦めちゃダメ!!」
と自分を励ましながら毎日練習していました。
不登園の時には考えられなかった心の成長です。


走るのも大好きなので、
「先生に、速いな!抜かしたの見てたよ!!って言われたー」
と家に帰って嬉しそうに報告してくれていました。

練習を通して、たくさんの自信をつけていきました!!

 

そして、本番
大きなグラウンドで行う運動会は2回目ともあり、年少の時ほどは、ドキドキはしなかったのですが、
不登園からの運動会ということもあり、
堂々と入場してきた姿をみただけでウルッとしました。

まずは、名前を言ってから鉄棒・跳び箱・三点倒立・竹渡りをしていきます。

名前を言えるのか、
ドキドキでした。
年少の時に言えた経験をしているので、
年中でも『言えた!』を増やして欲しいなー!
でも、もし言えなくても
運動会に出れているだけで十分だと思えるようになっていました。
(それだけ不登園は私にとって辛い出来事でした)


でも、その不安も何のその…
堂々と名前を言って鉄棒・跳び箱・三点倒立をこなしていきました。
最後の竹渡り。
ツルツルとした竹を渡るのですが、
足に砂がついて滑りやすくなっていたこともあり、何度も落ちましたが、
それでも諦めずにまた登り最後まで渡ることが出来ました👏


そして、最後はリレーです。
最後から2番目だったのですが、
かなり引き離しアンカーにバトンを渡せ、
そして、優勝しました。


今回の運動会も、全て参加でき感動・感動の運動会でした✨

【最後に…】
不登園で心が壊れて始めての運動会。
参加できただけで親としてはもう既に大拍手でしたが、諦めずに全ての項目に参加できた緘黙っ子を誇りに思いました。

皆が当たり前にできる事が出来ない、場面緘黙っ子をもつ親だからこそ感じることができる、この感動😭

日々、大変な育児で悩んでいる場面緘黙っ子の親へ…ご褒美をもらえた気がしました。


イベントを終える毎に、
『自信』を持ち
『やれば出来る!!』精神を培っていると思います。
親だけではこの『自信』は持たせてあげられなかったと思います。

先生の協力なしでは成し遂げられなかった事で、
不登園ではこの経験はできなかったんだなー
っと思うと、
親が出来ること、それは…
安心できる環境を与えてもらえるよう、
先生と良好な関係を築く努力を親が怠らないことだと思いました😊

【場面緘黙っ子】の習い事(年中)

場面緘黙っ子に親・人として日々学ばせてもらっています。
※場面緘黙とは、家などでは普通に話すのに特定の場面(保育園・学校など)では話すことができない状態。

 

 

場面緘黙っ子でも習い事をしています。
それは体操教室です。

それは不登園になるちょっと前、
保育園の子が体操教室に行っていることを知り、
その子達は運動神経もよく、何でも出来たので、
自分も体操教室に行ったら何でも出来るようになる!
と思ったのか?!
ある日突然、
「体操教室に行きたい!」と言い出しました。

自分からそんな事を言うのは初めてだったので、
何か変われるかもしれないと期待し、
何箇所か体験教室に通いました。
どこもですが、なかなか親から離れられず引離され渋々、参加する感じだったので、
もう辞める!と言うと思いきや
「楽しかったー!また行きたい!!」
と予想外の返答が…
そして、本人が一番よかったという体操教室に通い始めました。

数ヶ月通っても、相変わらず親から離れられず引離されて渋々参加していましたが、
14人クラスだったので、他の子達の演技を見るだけで楽しいのか、30分ぐらいしたら笑顔が増えていきました。

そして、終わったら
「楽しかったー!!」と毎回言っていました。

ある時、家の近くに体操教室の姉妹校が出来ると情報が入り、もしかしたら小学校が同じになる子もいるかも…と体験に行きました。
馴染の先生で生徒が3人でした。
親的には、大勢の方が気が楽なんじゃないかなーっと思ったのですが、
本人は「新しい教室がいい」
と言うので、転園しました。

すると、本生徒は緘黙っ子一人で、
あとは体験の子だったみたいで、その体験の子が入ってくる数ヶ月はマンツーマン授業でした。
今まで以上に親から離れられず、
先生が「やろう!おいで!!」
との説得が30分ぐらいあり、やっと参加できる感じでした。
最後の方は、顔つきも穏やかになって楽しんでいるのが分かるのですが、前の教室に戻ったほうがいいのかも!と思い、
「前の教室に戻ろうか?!辞めてもいいよ!」と言うのですが、
「今の教室がいい!!続けたい!!」と言うので続けていました。

数ヶ月すると生徒数が3人になりました。
それでも、やっぱり親と離れられず…参加できず…
新しく入ってきた子のほうがすんなりと授業を受けており、
比べては駄目だと思いながらも、
比べては落ち込んで親の私が、体操教室に行きたくなくなっていきました。
でも、いくら「嫌だったら辞めてもいいんだよ!」と言っても、体操教室は「楽しいから行く!!」と行動とは裏腹な返事が返ってくるので、続けています。

ただ、親が本当に行きたくなくなってしまい、
「体験教室は別に行かなくてもいい所だし、
あと、3回行ったらまた3か月分のお月謝を払わないといけない。タダじゃないから…」
と現実を突き付け、
体操教室に行くための条件を課せました。
それは、
「あと3回の間に、タッチでバイバイして参加できるんだったら続けよう!!」
と伝えると、
「分かった!出来る!!」
と言いました。


勝手な親だとは分かっているのですが、
不登園や日々の緘黙っ子への対応に疲れていて、お金を払ってまで辛い現実を目の前で1時間も見させられることに、耐えられなくなっていました。


そして、条件提示したあとの体操教室…

当日どうするのかなーっと思っていましたが、
タッチでバイバイでき、最初から最後までニコニコと参加できていました👏
それからは出来たり、出来なかったりを繰り返しているのですが、
最近気づいたのは、
事前の声掛けがあるか、ないか…
ということです。


うちの子は
一度、心が折れてしまったら
切り替えが難しいため、
なかなか参加することができなくなってしまいます。
参加してしまえば、楽しく活動できるのですが…
初めの一歩で失敗してしまうと、
ずっと引きずり、『出来なかった…』と自信喪失するので、
初めの一歩を出せるかにかかっています。

そのために、体操教室に行く前に
「誰でも初めの一歩を出すのはドキドキするけど、勇気を出してみたら『あれ?!どうってことないなー』って思うかもしれないよ。だから、一番最初だけ頑張って勇気出してみよ!!勇気出して飛び込んでみて、そこが嫌だったら辞めたらいいんだから」
と伝えている時は、
頑張って参加できるのですが、
もう、参加出来るようになってきたし、言わなくても大丈夫かーっと思って言わない時は、
親から離れられずグズグズしている事が多いです。


【最後に…】
体操教室は逆上がりなど『出来た!』が分かりやすく、参加さえ出来れば自信をもたせやすい習い事かなーっと思います。

本人が行きたい!と言ったので続けていますが…


子供にとっては、続けていたら楽しい場所になるかもしれないです…が、
私は親としてはまだまだ未熟なので…
親が辛すぎるのなら習い事は行かなくてもいいのかもしれない、と思っています。
日々、特性のある子供を育てていて、
それだけで疲労困憊なのに…
お金を払って他の子との違いを近くでみせつけられ、しんどくなるぐらいなら、
親子で笑顔になれるような時間を過ごしたほうがいいと思いました😊

【場面緘黙っ子】のキャンプ保育(年中)

場面緘黙っ子に親・人として日々学ばせてもらっています。
※場面緘黙とは、家などでは普通に話すのに特定の場面(保育園・学校など)では話すことができない状態。

 

緘黙っ子にとって保育園のキャンプに参加するには、先生の協力なくしては実現できなかったです。
本当に、担任の先生には感謝しかないです。


8月の末にお泊り保育があったのですが、それまでは不登園でした。
お泊り保育の2ー3週間前に
11月にあるキャンプ場の下見遠足があったのですが、
『本人は行きたい!』と思っていて、
行く準備までし、玄関を出て自転車に乗るところまではニコニコしながら行けていたのに…
いざ自転車に乗ろうとすると、
泣き叫んで自転車に乗れませんでした。
「そんなに行きたくないならお休みしよ!」
と言うのですが、
「行くの!!」と泣き叫び、でも自転車に乗れず…
このやり取りをずーっとしていて、
結局、出発時間に間に合わず行けませんでした。

「もう、バスが出発しちゃうから間に合わないし休もう!!」と家に戻りました。
その時の緘黙っ子のホっとした表情は忘れられません。
家に戻りましたが、
今日は行こうと思っていたのに、行けなかった自分が嫌になったのか…
「自分はダメな子」といつも以上に自己否定していました。
このままではダメだと思い、
「今日、休んだことは意味があることにしよー!」と言うことで、
ずっと出来るようになりたかった
"あやとり"を1日中、練習しました。

"あやとり"は『出来た!!』を実感しやすい遊びなので、達成感によって悲壮感はなくなっていきました。
(幼いからこそ深く考えず、簡単に気持ちが切り替えられたんだと思います。)


気持ちが落ち着いてから話を聞くと、
どうやら、バスの中でトイレに行きたくなったらどうしよう?!と不安になり、
行けなくなってしまったみたいでした。


そして、その事を保育園の先生に相談しました。
「バスはそんなに長い時間乗らないし、
キャンプまでに一回下見に行ってみたら?
そしたら安心するかもね。
もし行くなら日にち教えてね。
個人では予約できないところだから、
一報入れておくね。」
と言われました。

なので後日、
「今度の日曜日に行こうと思います。」
と伝えると
「個人では見学も出来ないみたいだから、私も行くから。」
とまさかの休日出勤してくれることに…

申し訳なさすぎて…
ちゃんと給料が出るのかを確認しました。(笑)
そして、園長先生にもお礼を言いに行きました。


見学当日、現地集合で
担任の先生以外にも保育園がお願いしているキャンプのプロの方(本番も来てくれる人)も同行していただき、施設のトイレやお風呂・寝る部屋など、
キャンプの時に使うであろう場所やキャンプファイヤーをする場所などを見せてもらいました。

そして、下見見学から2週間後、
ウキウキ・ルンルンでバスに乗ってキャンプに出かけていきました。


もちろんニコニコでキャンプから帰ってきました😊


【最後に…】
キャンプに行けたのは、お泊り保育で自信をつけた事は大きいと思います!!
でも、やっぱり
先生の協力がなかったら確実に実現できなかったです。

緘黙っ子はイベントを乗り越えるごとに表情からも分かるぐらい自信をつけています。

親だけでは、この達成感は感じさせてあげられなかった…

何度も何度も何度も言いたい!!
先生、本当にありがとうございました✨

【場面緘黙っ子】のお泊り保育(年中)

場面緘黙っ子に親・人として日々学ばせてもらっています。
※場面緘黙とは、家などでは普通に話すのに特定の場面(保育園・学校など)では話すことができない状態。

 


この、お泊り保育は緘黙っ子にとってかなりの転機になった行事の一つです。


お泊り保育までは、不登園でした。
なので、担任の先生に
「お泊り保育、行かなくてもいいかなーと思っています。」
と言うと、間髪入れずに
「いや!来て!!」と言われました。

調子がいい時は保育園に行っているけど、
それでも、給食前だったりの3時間ぐらいなのに…
行けるのか?!と思っていました。

でも、お泊り保育が近づいてくると、
お泊り保育で何をしたいか?!などを相談したり
皆で、可愛いお化け屋敷を作ったり…
とワクワクする気持ちを作っていってくれました。

そのおかげもあり、
「行きたくない」とお休みする日もありましたが、
給料前→給食後→お昼寝後→おやつ後までと、
徐々に保育園の滞在時間が長くなっていきました。

ただ、無理をさせてはいけないと思っていたので、
毎回「今日は、何時お迎えがいい?」
と本人に聞いて、それを守るようにはしていました。

仕事をしていたので、途中で抜けたりと親としてはなかなかハードな日々でした。
お昼休憩時間をお迎えに当てていたので、その間ずっとお昼抜きでした(笑)
そして、祖父母宅に預けてまた仕事に戻っていました。
祖父母の協力がなければ、このスモールステップはできずに登園するハードルがもっと高くなっていたと思います。
祖父母にも本当に感謝です。

経験して思うのですが、
特性のある子の子育ては親だけでは限界がある!
頼れるところは、頼ったほうがいい!!
じゃないと親が倒れてしまう・潰れてしまう!!
と強く感じます。

 

そして、お泊り保育当日。
いつも通り、朝に登園しそのまま保育園に泊まるというスケジュールでした。

朝からウキウキ・ワクワクしていた緘黙っ子。
まさかの朝のお別れもすんなりとタッチでバイバイでき、こちらが呆気に取られた感じでした。
(いつもは泣き叫んで親から引き離されています)

その日は私がずーっとソワソワ…
今頃、何してるかな?大丈夫かな??
と、夜もいつ電話がかかってくるか分からないから、寝れず…

結局、電話はかかってこず、
朝ご飯を食べて保育園に迎えに行きました。

まだ緘黙っ子はみんなと朝ご飯を食べていました。
先生が来て、
「全然、大丈夫だったよ。むしろお友だちを支えてくれて、頼もしかったよ。」
と報告してくれました。

そして、ご飯を食べ終わった緘黙っ子と合流しました!!
こんな満足気な自信に満ち溢れた緘黙っ子をみたのは初めてでした。

オーラなんて見えなる力はないはずだけど…
キラキラと神々しく輝いてみえました。(笑)

このお泊り保育をきっかけに、
保育園にまた通えるようになっていきました。

 

【まとめ】
初めてのお泊り保育は緘黙っ子にとって、
『やればできる!!』と自信を取り戻せた一大イベントだったと思います。

祖父母にも
緘黙っ子はお泊り保育で変わったね」
と言われるぐらい、
今回のお泊り保育で成長しました。


親だけではこの自信はつけさせてあげられなかったと思います。
周りの人達の協力があってこそ、実現できたんだと思います。

何度も言って、しつこくてすみません…
でも、やっぱり…
特性のある子の子育ては親だけでは限界がある!
頼れるところは、頼ったほうがいい!!
じゃないと親が倒れてしまう・潰れてしまう!!
そして、
頼ってみたら、親だけでは見せることが出来なかった違うステージを見せてあげられるかもしれない!!

今回の、お泊り保育で私が学んだ最重要ポイント
それは…
またまた、しつこいですが…
頼れるところは、どんどん頼っちゃいましょう!!
(感謝は忘れずに←自分への戒めとして(笑))

って事です😊

【場面緘黙っ親】不登園時の心境

場面緘黙っ子に親・人として日々学ばせてもらっています。
※場面緘黙とは、家などでは普通に話すのに特定の場面(保育園・学校など)では話すことができない状態。

 


不登園は子供にとっても親にとっても
かなり辛い日々でした。

不登園の期間は約4ヶ月と、今思えば
かなり短かったのですが、
いつまで続くのか、
このままずっと行けなくなるのか…
出口の見えないトンネルを彷徨っている間は本当に長く苦しかったです。

この4ヶ月で夫婦共に20日分の有給を消化しました…
仕事場に頭を下げ休ませてもらい、
でも休んだ分、仕事が減るわけではないので夫婦交代で出勤しあい仕事に行ける日はフルスピードで働いていたので、毎日クタクタでした。
夫は夜中に残った仕事をし寝不足の日々が続きました。
いつ休むか分からないので、出来る時に出来るだけ先の見通しを立てて仕事をする!!を夫婦の合言葉にし、仕事をしていました。
(今までは明日すればいっかー!スタンスで仕事をしていました…すみません…)


不登園で仕事を休んだ日も、家でゆっくりなんて出来ません。
緘黙っ子の心も壊れていたので、
小さな事ですぐに癇癪を起こし、その対応にどっと疲れ、体だけではなく心もクタクタでした。

この4ヶ月の間は、夫婦共に気が休まる日なんてありませんでした。

 


私もそうですが、たぶんほとんどの不登校っ子をもつ親なら、初めは頑張って行かそうとすると思います。

私も、なんとかして『行かさなくては!』と思って無駄に頑張っていました。
休ませていても、
「明日は、保育園行ける?
保育園では今頃美味しいおやつ食べてるね」
など、プレッシャーをかけまくっていました。

プレッシャーをかければかけるほど、
「保育園に行きたいのに行けない自分はダメな子だー!皆は保育園に行けるからお母さんは仕事に行ってお金を稼いでこれるのに…自分はダメな子だー!」
と、子供の心が壊れていきました。

このままでは駄目だ!!
親子で笑顔がなくなってしまう!!と思った時、
『もう笑顔で楽しく過ごせたらいっかー』
という発想に変わりました。


当時、不登校の記事やブログなどを読み漁りました。私が印象に残っている言葉は…

『「行きたくない!」っと親に言うことはとても勇気がいることで、何ヶ月〜何年もかけてその言葉を心に閉まっていた。その言葉を言った時にはもう心が壊れている時だから、すぐに休ませてあげることが大切。』

『何ヶ月〜何年も苦しんでいたんだから、その心を元気にするには、苦しんだ倍の時間が必要』

『心が元気になったら自分から動き出す』

など、不登校への考え方が変わりました。


これは、本当に賛否両論あるのですが…
私は、これを機に仕事の働き方を社員からパートに変えました。
この決断が出来たのは、
①資格を持っているためいざとなったら、また正社員で働けると思ったから。
②やりたくない大きな仕事を任されそうになり、そうなると今まで以上に休めなくなり、自分も仕事に追われイライラすることが想像できたから。
③仕事にやりがいを感じられなくなったから。
④新しい夢ができたから。

本当はずっとずーっと仕事を辞めたかったのですが辞めるタイミングが見つからかったので、
ある意味、いい機会をもらったと思っています。


私達、家族にとってはこの選択は今のところ吉とでています。
まず、パートになったことで毎日仕事に行かなくても良くなった。子供が休みたいと言ったら、いつでも休ませてあげられる心の余裕ができました。
→すると、夫も仕事がはかどり夜中に仕事をする事もなくなり、睡眠不足が解消されました。
→親が、穏やかになると子供も穏やかになっていき、心が回復していきました。


そして少しずつ保育園の滞在時間を延ばし、
保育園行事に参加しながら、
少しずつ保育園に戻ることができました。


【最後に…】
不登園の日々は本当に辛かった…
でも、今振り返ってみると、
不登園が辛いんじゃないんだ!!
子供の心が壊れていったことが辛かったんだ!!
と、当たり前のことですが…今更ながら思いました。

『年中なんだから保育園に行かせなきゃ!』
という固定観念が私を苦しめて、
その固定観念で子供を苦しめ、
子供の心が壊れたことが本当に辛かった…
子供の心が壊れたら親の心も壊れるんだと改めて思い知らされました(←遅っっ)


もう、あの時の状態には戻りたくない!!
あんな親子共に苦しい日々に戻りたくない!!
と夫婦で今もよく話していて、

『子供が笑顔ならそれでよし!!』

をスローガンに夫婦で協力して過ごしています。