【場面緘黙っ親】不登園時の心境

場面緘黙っ子に親・人として日々学ばせてもらっています。
※場面緘黙とは、家などでは普通に話すのに特定の場面(保育園・学校など)では話すことができない状態。

 


不登園は子供にとっても親にとっても
かなり辛い日々でした。

不登園の期間は約4ヶ月と、今思えば
かなり短かったのですが、
いつまで続くのか、
このままずっと行けなくなるのか…
出口の見えないトンネルを彷徨っている間は本当に長く苦しかったです。

この4ヶ月で夫婦共に20日分の有給を消化しました…
仕事場に頭を下げ休ませてもらい、
でも休んだ分、仕事が減るわけではないので夫婦交代で出勤しあい仕事に行ける日はフルスピードで働いていたので、毎日クタクタでした。
夫は夜中に残った仕事をし寝不足の日々が続きました。
いつ休むか分からないので、出来る時に出来るだけ先の見通しを立てて仕事をする!!を夫婦の合言葉にし、仕事をしていました。
(今までは明日すればいっかー!スタンスで仕事をしていました…すみません…)


不登園で仕事を休んだ日も、家でゆっくりなんて出来ません。
緘黙っ子の心も壊れていたので、
小さな事ですぐに癇癪を起こし、その対応にどっと疲れ、体だけではなく心もクタクタでした。

この4ヶ月の間は、夫婦共に気が休まる日なんてありませんでした。

 


私もそうですが、たぶんほとんどの不登校っ子をもつ親なら、初めは頑張って行かそうとすると思います。

私も、なんとかして『行かさなくては!』と思って無駄に頑張っていました。
休ませていても、
「明日は、保育園行ける?
保育園では今頃美味しいおやつ食べてるね」
など、プレッシャーをかけまくっていました。

プレッシャーをかければかけるほど、
「保育園に行きたいのに行けない自分はダメな子だー!皆は保育園に行けるからお母さんは仕事に行ってお金を稼いでこれるのに…自分はダメな子だー!」
と、子供の心が壊れていきました。

このままでは駄目だ!!
親子で笑顔がなくなってしまう!!と思った時、
『もう笑顔で楽しく過ごせたらいっかー』
という発想に変わりました。


当時、不登校の記事やブログなどを読み漁りました。私が印象に残っている言葉は…

『「行きたくない!」っと親に言うことはとても勇気がいることで、何ヶ月〜何年もかけてその言葉を心に閉まっていた。その言葉を言った時にはもう心が壊れている時だから、すぐに休ませてあげることが大切。』

『何ヶ月〜何年も苦しんでいたんだから、その心を元気にするには、苦しんだ倍の時間が必要』

『心が元気になったら自分から動き出す』

など、不登校への考え方が変わりました。


これは、本当に賛否両論あるのですが…
私は、これを機に仕事の働き方を社員からパートに変えました。
この決断が出来たのは、
①資格を持っているためいざとなったら、また正社員で働けると思ったから。
②やりたくない大きな仕事を任されそうになり、そうなると今まで以上に休めなくなり、自分も仕事に追われイライラすることが想像できたから。
③仕事にやりがいを感じられなくなったから。
④新しい夢ができたから。

本当はずっとずーっと仕事を辞めたかったのですが辞めるタイミングが見つからかったので、
ある意味、いい機会をもらったと思っています。


私達、家族にとってはこの選択は今のところ吉とでています。
まず、パートになったことで毎日仕事に行かなくても良くなった。子供が休みたいと言ったら、いつでも休ませてあげられる心の余裕ができました。
→すると、夫も仕事がはかどり夜中に仕事をする事もなくなり、睡眠不足が解消されました。
→親が、穏やかになると子供も穏やかになっていき、心が回復していきました。


そして少しずつ保育園の滞在時間を延ばし、
保育園行事に参加しながら、
少しずつ保育園に戻ることができました。


【最後に…】
不登園の日々は本当に辛かった…
でも、今振り返ってみると、
不登園が辛いんじゃないんだ!!
子供の心が壊れていったことが辛かったんだ!!
と、当たり前のことですが…今更ながら思いました。

『年中なんだから保育園に行かせなきゃ!』
という固定観念が私を苦しめて、
その固定観念で子供を苦しめ、
子供の心が壊れたことが本当に辛かった…
子供の心が壊れたら親の心も壊れるんだと改めて思い知らされました(←遅っっ)


もう、あの時の状態には戻りたくない!!
あんな親子共に苦しい日々に戻りたくない!!
と夫婦で今もよく話していて、

『子供が笑顔ならそれでよし!!』

をスローガンに夫婦で協力して過ごしています。